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エピソード

私は霊能者として、僧侶として、何より「神様の使いっぱしり」として、ひとりでも多くの人方を幸せへと導くことを己(おのれ)の使命とし、活動を続けています。有り難いことに、たくさんの方たちの支持を得て、活躍の場は年々広がっています。 しかし、ほんの十年ほど前まで、私は神仏をまったく信じていませんでした。その理由は、私の生(お)い立ちにあります。私の生家はとても貧しく、今日食べるお米にも困るような有様でした。給食費や教材費を払うことができず、貧乏人は学校に来るなと同級生からはイジメられ、先生にも差別されたものです。進学などは到底望めない状況でしたから、中学を卒業すると同時にがむしゃらに働き、若くしていっぱしの女性実業家となりましたが、成功すれば嫉妬も買うもので、嫌がらせや裏切りは引きも切らず、ストレスが溜まる一方でした。仕事にかまけすぎて、私生活もさんざんです。そのうえ病気と交通事故に立て続けに見舞われ、その後遺症と薬の副作用に悩まされ続けました。こんなに頑張っているのに、こんなに困っているのに――「この世に神も仏もあるものか」と思わないほうが不思議でしょう。「どうしたって、私は不幸にしかならないのだ」と我が身を嘆くばかりでした。

そんな私の人生は、44歳を境に一変しました。六字明王(ろくじみょうおう)様という素晴らしい神様が、霊能力と福運多き人生を送るための知恵を授けてくださったからです。福運とはその人にとっての幸せで、人によって、それぞれ福運の形は異なりますが、無上の喜びであることは同じです。それ以降、神様は多くの福運を私にもたらしてくださいました。体が丈夫になって苦痛から解放されたり、思いがけないご縁に恵まれたりと、数え上げればきりがありません。また、私は幼少の頃から予知能力めいた力を発揮することはあったのですが、六字明王様と出会ってからは、自分でも怖いほどに、その力はますます強く、さらに進化したものになっていったのです。六字明王様はその後もたびたび現れ、「私がそなたを救ったように、今度はそなたの力で人々を救いなさい」とくり返しおっしゃいました。

最初は戸惑いましたが、やがて「すべてを神様に委(ゆだ)ねよう」と決意しました。が、具体的に何をすればいいのかわからず、私は霊能者として活躍している方々を訪ね歩きました。そんな折り、九十歳近い女性の霊能者の方から、「あなたには神様が宿っている、得度(とくど)をお受けなさい」とすすめられたのです。実はその当時、私は得度の意味を知らず、彼女に導かれて行ったお寺の管長から「得度とは僧侶になることですよ」と教えられて仰天したことを覚えています。しかし、あれよあれよと話は進んでいき、私も神様から授かった力と知恵を十二分に生かしていくためには、これしかないと腹をくくりました。そして得度を受けて、僧侶としての研鑚(けんさん)を積み、阿闍梨(あじゃり=密教で修業が一定に達し、秘法を伝授された僧)の位と「六水院」の院号をいただき、「神様の使いっぱしり」としての活動を本格的にスタートさせたのです。お寺での修行はなかなかに厳しいものでしたが、あの経験がなければ今の私はないと、得度をすすめてくださった霊能者の方と、指導してくださった管長に深く感謝しています。

私の活動を知っていただく機会にも恵まれてきました。筆頭は1998年のテレビ番組「奇跡体験!アンビリーバボー」です。競輪でどの選手が一着になるかを予知する内容で、私は10レース中7レースを的中させました。放映終了後、大変な反響が寄せられたそうで、その後、雑誌の取材を受けたり、他のテレビ番組への出演も相次ぎ、私を頼ってくださる方も驚くほど増えました。さらに2000年、「幽霊アパート」と呼ばれ、マスコミを騒がせていた、岐阜県富加町の町営住宅で起きた霊現象を収めたことで、下ヨシ子と六水院の名は広く知られるところになり、ますます活躍の場は広がりました。

むろん、すべてが円滑に進んだわけではなく、さまざまな難問も降りかかってきましたが、多くの方々の温かいご支援の甲斐あって、2005年には宗教法人として認められ、2006年には「真言六字密教総本山」を開基することができました。現在は熊本本院のほかに京都に関西別院、東京、石川、熊本に支部を構えています。組織が大きくなるほどに忙しさもいや増し、また新たな試練も次々とやってきますが、六字明王様に助けられ、弟子や信者さんに支えられ、充実した日々を送っています。六字明王様と出会うまでの半生を振り返ると、今の状況はまさに奇跡です。

しかし、なぜ神様は私を選び、救ってくださったのでしょうか。それは私が「いい格好しい」だからだと今は理解しています。良いところを見せたくて、自分は飲まず食わずでも人に振る舞う、そんな癖が幼い頃からありました。要するに、私は筋金入りの見栄っ張りのわけですが、神様は「人に尽くしてきた」と評価し、目をかけてくださったのでしょう。言い換えれば、神様に好かれる行ないを積んでいけば、誰でも幸せになれるのです。このことを、より広く、詳しく伝えていくためにも、「神様の使いっぱしり」として今後も精進を続けて参ります。 今これをお読みのあなたが、神様に守られて生きる喜びを味わえますことを願いつつ……。

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